※この記事は、私のnote記事を転載したものです。
今回旅した最西端はカシュガル。そこから今度は天山南路を通り、アクス経由でウルムチへと戻っていく。
「シルクロード」
今更ながら、シルクロード解説。
いわゆるシルクロードには、次のルートがある。
まず西安から敦煌までの河西回廊。ここまではまだ漢民族エリアだ。
さらに敦煌からハミ~トルファンに出たのちに天山山脈の北側を通って、ウルムチ、イーニンへと出る天山北路。
ハミ~トルファンから天山山脈の南(タクラマカン砂漠の北側)を通ってクチャ、カシュガルと行く天山南路。
さらに敦煌から崑崙山脈の北側(タクラマカンの南側)を通って楼蘭、ニヤ、ホータン、カシュガルと続く西域南道がある。
すなわち我々が今までしてきた旅は、ウルムチから天山北路を南東へ下ってトルファンに出て、そこから天山南路を通り、輪台からタクラマカン砂漠を縦断して西域南道のニヤに出て、あとは西域南道を通ってカシュガルに到着したということになる。
あとはカシュガルから天山南路を通ってウルムチに帰るのだ。
アクスへと走る
カシュガルで大雨が降ったあと、一気に空気は秋になった。空に薄雲がかかる中、我々の乗ったバスは東へと走っていく。

途中、ウイグル語と漢語で「商店」と書いた看板を掲げたお店があったが、残念ながら開いていなかった。

行き路は沙漠であったが、今回は天山山脈のへりを走る道。

途中昼食に立ち寄った食堂では、表で料理するスタイル。



トマトをふんだんに使った具をかけたラグメン。ここの麺はきしめんのように平たかった。ご馳走様でした。

帰り道はわりと飛ばして進んだ。この日の夕方にはアクスに到着、ちょっとウイグル料理でないものが食べたくなった我々は重慶火鍋のお店へ。もちろんお肉は豚ではなく、牛肉です。

翌日、思いがけない滞在
アクスで一泊した我々は、ウルムチへの帰り道に立ち寄ることができるキジル千仏洞へと向かっていた。

しかし!
ここでアクシデントが発生。バスが故障したのである。今度はパンクではないらしい。我々は近くの村に立ち寄り、そこでバスと乗客は待機、運転手さんがその村で車に乗せてもらって修理部品を調達しにいくことになった。
そこで急に2時間ほどつぶさなくてはならなくなった我々。村の公衆トイレをお借りしたり、ナンやさんを見物したりとのんびり過ごした。

十分に時間があったので、ナンを作っているのをつぶさに観察できました。



ここのお店のナン(右側、塩と小麦粉と水、ゴマのみで作ったもの)は、

奥さんがゴマをかけた生地を

旦那さんがトヌル(ナン焼き窯)に貼り付けていく。中はかなりの高熱らしく、下のほうから貼り付けるのだが、上の方が貼り付け終わるころにはすでに下の方の生地は膨らみかけているのだ。

待つこと約20分、焼き立てホカホカのナンがトヌルから出てくるのである。もちろん焼き立てを購入、その時点では、外はぱりぱり中はふんわり、おいしかったです!!
一日経つと固くなってしまうため、紅茶にひたしてふやかして食べるとよい。
ほかにも、

肉まん、

焼き饅頭などなど買い食い買い食い。

いきなり立ち寄った日本人集団でした。おじいさんにウイグル語であいさつをしたら丁寧に返してくれたりして、言葉をもっと学んでから来ればよかったと反省したことでした。
キジル千仏洞
バスの修理が終わり、我々はキジル千仏洞へ向かった。

千仏洞内部は撮影禁止。撮影はここまで。

キジル千仏洞は、亀茲国という国がここに栄えていた時代に建てられたという。亀茲国の有名人といえば、高校世界史でも習ったクマラジーヴァ。仏典漢訳をした高僧・鳩摩羅什である。

クマラジーヴァはインド人の父、亀茲国の王族を母に持ち、亀茲国で生まれたという。彼の仏典漢訳事業は玄奘へと受け継がれていく。
再びコルラへ
キジル千仏洞を後にした我々は、東のかたコルラへと向かった。一度宿泊した地だからか、少しほっとする。

夕飯を食べたお店の価格表を撮影していた。

すみませんちょっとぼやけています。この中から、

ポロ、中国語では「抓飯(ジュアファン)」。

炒麺。うどんを短く切ったような麺と具とを炒めるもの。
翌朝、道路は濡れていた。コルラを出発した我々は、いよいよウルムチへと帰るのである。

(続く)
©️のんびりアジア旅 Nonbiri Trip by 六華 この記事に掲載された文章や写真の、無断使用・転載・保存を禁じます。
★政治的コメントはご遠慮ください。